地上アナログテレビ放送の終焉




先日、ニュースでNHKはじめ民放各社に地上デジタル放送の本免許が交付されたと報じていた。
6月1日から本放送とのこと、昭和31年当時のHBC初代社長と杉山達郎技術部長の英断で
マウンテン方式を主張し当時の郵政省電波管理局を動かし手稲山頂に有人のテレビ送信所を建設した。新入社員としてこれに参加できたことはまことに光栄である。
当時はこの発寒橋を渡ると手稲町までは果樹園が続いていたのを思い出す。
冬は雪上車でHBC本社のあった三越向かいの大丸から出発し札樽国道を手稲まで時速は最大40kmで走り手稲山道(勿論HBCの単独工事)を山頂まで毎日往復したことを思い出す。
発寒川沿いの桜並木は今は5月の歩こう会の恒例ルートとなっている。残念ながら今年は参加できなかったので昨年5月12日の民放クラブの歩く会の時の写真を添えた。