昭和31年HBC手稲送信所建設工事の思い出


古いアルバムを整理していると入社時のテレビ手稲送信所の建設の空撮写真が出てきました丁度入社した年に手稲山にマウンテン方式でテレビ送信所を建設し、一挙に北海道の大部分をカバーしようと当時の初代阿部社長、杉山部長が決断して、一ローカル民間放送手稲山に挑んだのでした。新入社員の私も一員に加えていただき、それ以来全道のテレビ・ラジオのネットワーク構築が定年までの主な仕事になるとは当時は夢にも思いませんでした。
この写真は、懐かしいく今の手稲の電波銀座の最初の貴重な資料でもあります。